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「学習塾ってすごいよ」というこの本
のあとがきにある言葉、私の知人も似たようなことを言っていました。 ゆとり教育ゆえの公立の没落。 親の合格への強いニーズ。 その合格へのニーズを、満たしたのが学習塾。 ころころ変わる教育行政。 社会は、相変わらずの学歴社会なのに、学校、特に公立は学習指導要領に縛られ合格実績を落とすばかり。生徒も親も、上の学校にしかもいい学校に受験し、合格しなくては、将来に明るい見通しが開けないのに、学校はその要求にこたえられない。 それに対して、学習塾は、はじめ鬼っ子扱いだったのに、着々と合格実績を伸ばし、受験を考えたら、もはや、塾に行かなくてはダメな世の中。 もともとは、経済ジャーナリストの人が書いた本だけあって、塾の創設者の聞き取りなどもあって、面白い。なにせ、大規模な塾でも、運営に関しては、創業者の意向が強く反映されていますから。 |
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一昨日は守屋さん、昨日は福田さんと小沢さんの秘密会談。
毎日が、大きなニュースの連続で、その内容をまとめて読もうと新聞を溜め込んでいるのですが、日曜日には決まって雑用。いい加減新聞もたまりすぎると読むのが億劫になってしまい、結局新聞回収日にまとめて出してしまう。ろくに読まずに。 大きな、しかも、TVのニュースのトップに紹介される話ですら、忘れ去られるのですから、中央教育審議会が、約30年ぶりに授業時間を増やすことで話をまとめたことなど、最初から人々の目に留まっていないのでしょう。 それにしてもこの国の教育ってどうしてここまでおかしくなってしまったんでしょう。 あまり大上段に振りかぶってもしようがないので、話を昔話にもっていきます。 ダメ教師。 私が義務教育を受けていた頃ってのは、1960年〜70年代にかけてで、よく考えてみるまでも無く、その当時の中高年の教師って、戦争を知っている時代の人たちでした。 1945年に20歳でしたら、1965年には、45歳。 戦争を知っているオヤジ連中なんてそのころごろごろいましたから、あまり気にしていなかったのですが、当時現役でバリバリの教師って、うっかりすると、軍隊の生き残りだったのかもしれません。 今でもかすかに記憶しているのですが、小学校の算数の教師にハゲでいつもおちゃらけばかり言っていた教師がいました。ただ、教え方はうまくて、少なくとも高校のとき理科系、学年、最低点の私でも、小学校の時は算数が好きだった。 あるとき、原因は覚えていないのですが、私たち生徒がなにか決め事を破ったときがあった。その決め事ってのが、多分、その教師と私たちとの信頼関係に基づくものだった。 普段、温厚だったその教師が、そのときだけは烈火のごとく怒り、私たちを並べてビンタをはった。 はっきりとではないのですが、そのときのその教師の目は、鬼のようで、未だに、私の記憶の奥に残っている。 それが単に怒りの感情の発露に過ぎないのでしたら、私も忘れていたのでしょうが、悲しみの混じった怒りだということが、幼い私たちにも伝わった。だから、今、当時のその教師より年長だろう年齢になっても覚えている。 その教師のビンタは、私たちの頬を打ったのではなく、心を打ったのでした。 今でも、そのことを思い出すたび、感じるのは、人間としてある以上なにか守らねばならないことがあり、それは、信頼関係に基づき、それを破ると、やりきれない悲しみをもたらし、それは、人として決してやってはならないことなのだということです。 |
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食育は、食育基本法に『知育、徳育及び体育の基礎』と書かれています。
この「知育」云々を語った人が、石塚左玄という人で、その人が書いた本が、「食物養生法」という本です。 ご紹介する農山漁村文化協会が出している本は、その現代語訳ですが、石塚さんは、この本の中で、「躰育智育才育は即ち食育なりと観念せざるや」と述べ「食育」がそのほかの「育」の基本としています。 その後、20世紀のはじめに村井弦齋という人が、「食道楽 (上) (岩波文庫) 村井さんの本では、「知育」、「体育」、「才育」に加えて「徳育」という言葉も使われていて、これに「食育」を加えて、5つの「育(はぐくみ)」というようです。 いずれにせよ、受験の季節って、寒く、風邪のはやる季節です。 そして、その季節を迎える以前にしっかりやらなくてはならない勉強。 これを乗り切るために一番大事なのは、やはり健康。それを作るのが、「食」 |
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以前ご紹介した、中学入試に良く出る本。
アマゾンが新しくウィジェットを公開しましたので、それを利用して再度紹介します。前回より少し追加しています。 |
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教育のことにちょっとでも関心を持ったら、この国には、教育にお金をかける気のある専門家がいないことに気づくし、本当に知りたいことを調べた統計って物も無いことにも気づくでしょうね。
制服だって重要なファクター |



